どーも、めみぃです。
このブログでHSPのことを書かせてもらっているんですが、私自身もHSPです。
HSPの存在を知ったのは、大学3回生の時だったので今から5年ほど前です。
そこから、少しずつ自分との向き合い方が分かってきましたが、それまでは周りと「何かが違う」自分に違和感を覚えていました。
そんな私が、幼少期からこれまでに体験したことを書いてみることにしました。
ちなみに、私は人にHSP気質を悟られないよう生きてきたので、
このエピソードたちは今日まで自分の胸にしまわれていたものです。
HSPの影響なのかよく分からないエピソードもあったりしますが(笑)軽い気持ちで読んでもらえると嬉しいです。
エピソード1
私、大学卒業して3年間は精神科病院で働いていました。
病院では定期的に研修を受ける機会があって、その日は身体拘束の研修だったんです。
ベッドと拘束器具が準備されて、患者さん役と職員役に分かれて身体拘束の体験を行う内容です。
新人の私は、患者さんの気持ちを知るために患者さん役をさせてもらいまして。
そして研修の最後、数少ない患者さん役の一人だった私は、司会の方から感想を求められて、とっさに答えました。
「なんとも言えない気持ちでした…。」
この瞬間、会場中が笑いに包まれたんです(その道に目覚めたと思われた)。
このとき私は、初めての拘束体験にかなり動揺していました。
身動きのとれない状況は、想像の何倍も怖かったんです。
じっとしていたら大丈夫なんですが、動こうとした瞬間に拘束されている事実を突きつけられ、恐怖が襲ってきました。
色んな感情が自分のなかで渦巻いていて、感想を求められたときにはまだ、
脳内に散らばった言葉たちがうまく一つの文章にまとまってくれなかったんです。
その結果が「なんとも言えない気持ちでした…。」
何言ってんだ私…。
エピソード2
- 秋がすぐそこまで来ている匂い
- 冬の朝の匂い
- お日様の匂い
- 昔のことを思い出す匂い
そういう匂いが大好きです。
私の母も私と似た感性を持っているので、昔から母とは共感し合えた匂いの感覚でした。
ある時、母と話すような感覚で友達に「秋の匂いがするね」って言ったことがあるんですが、
友達は「秋の匂い?」と困った顔をしていました。
そのとき初めて「この感覚ってみんな同じじゃない」ことを知ったんです。
それからは、こういうことはあまり人前では言わないようにしています。
感覚を共有できたら嬉しいですが、奇妙なやつだと思われるのが恥ずかしいからです。
こういう感覚は、分かり合える人との間だけで共有できれば十分です。
自分の感性には感謝しています。
新しい季節の訪れを感じて、喜びで胸がいっぱいになる瞬間はこの上なく幸せだからです。
エピソード3
幼少期から、とにかく良いことも悪いこともどんどん想像が膨らみました。
保育園生のころ、同居している祖母と「おしん」を観るのが楽しみだったんですが、
ある日、おしんのおばあちゃんが亡くなる場面を見て以降、
自分の祖母と重ね合わせてしまって、別れの場面を想像しては不安でたまらなくなりました。
祖母と顔を合わせる度に「ばあちゃん死なんとってよ」と泣きながら伝えていたことを覚えています。
中学卒業まで祖母とふたりで寝ていたんですが、布団に入る前には毎日欠かさず、父と母の眠る部屋を訪ねました。
「おやすみ」と「また明日」を伝えるためです。
翌朝「おはよう」が言えなかったら…。
そんな風に考えると、伝えずにはいられませんでした。
部屋の扉を閉めると永遠の別れが待っているような感覚で、
扉が閉まる瞬間まで瞬きをせずに、父と母の姿を目に焼き付けていた記憶があります。
そして、祖母の待つ布団に戻って「明日も会えますように」と願いながら眠りにつく毎日でした。
エピソード4
実家は2階建てで、私の部屋はその2階にありました。
ですが2階に上がるのが怖くて、いつも誰かについてきてもらっていました。
自分の背後が気になって仕方ないんです。
やむを得えず一人で上がったとしても用事は最短で済ませて、全速力で階段を駆け下ります。
何かが後ろから追ってくる気がするからです。
中学生になると、勇気を振り絞って自分の部屋で勉強を始めてみましたが、
5分おきに背後を確認する状態でした(笑)
トイレでは、便座に座ったまま体をねじって、背後にある窓を凝視しながら用を足しました。
そして、トイレが終わると家族のいるリビングへダッシュ。
背中に感じていたあの気配はいったい何だったのか…。
ただの思い過ごしだったらいいんですが…。
ちなみに、おばけには一度も出会ったことはないです。
エピソード5
新卒で精神科病院に就職して、1か月目だったと思います。
毎日仕事終わりには、誰かが全員分のカップを洗って、それ以外の人が部屋のブラインドを閉めることになっていました。
その日はA先輩がカップを洗ってくれていたんですが、肝心のブラインドがA先輩の左肩すれすれのところにあるんです。
ブラインドの紐を掴むためには、先輩によけてもらって狭い隙間に入る必要がありました。
- 「よけてもらってでも閉めた方が良いのかな…」
- 「でも、私がブラインドを閉め終わるまで洗いづらくないかな…」
- 「コップを洗い終わって、A先輩が手を拭くタイミングで閉めに行こうか…」
- 「そもそも下っ端の私がコップを洗った方がよかった?」
ほんの一瞬の間に、こんな葛藤を脳内で繰り広げていると、
A先輩:「ブラインド閉めてもらえる?(気が利かないって言いたげな表情で)」
手遅れでした… 。
先輩の目には、私が何も考えずにぼーっと突っ立っているように写っていたのだと思います。
その日は悔しくて帰りの車の中で泣きました。
職場から自宅までの40分間まるまる泣きました。
さいごに
最後まで読んでくださって、ありがとうございます。
いかがでしたでしょうか…?
「私も同じだった!」って人がいたら、私が個人的に嬉しいです。
最近は、昔より大雑把に考えられるようになってきたんですが、
積み重ねてきたHSPエピソードは、まだまだあります。
この子たちを成仏させるためにも、今後小出しにして行けたらと思っています。
おわりです。
それでは!
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